劇団ゲキハロ 携帯小説家

もちろんネタバレしまくりでお届けします。今回は誰々がどうのって話は無しで話の内容を中心に書いていきますので、これからの人は見ないほうがいいと思います。どんなんかを知った上で見たいという人はそのまま先へお進みください。一つだけ言っておくと、梅さんヲタは右の方の席がお薦めです。

久しぶりに長くなったわ バカみたいw
今回、事前にメールを配信するなど新しい試みもありましたが、配信メールは上演時間の短縮って意味合いなのかな?って思いました。最後の挨拶で舞美さんも言ってましたが短い時間の中で仕上げたようなので、こういう仕組みをとったのではないかと思わずにはいられない。最後に配信されていたメールに<最終章>へ続くが、今回の舞台の冒頭に続くわけです。携帯小説を読んだことの無い大多数の人がイメージする大して意味の無い、ものすごくご都合主事でサムライ☆ベイビーは幕を閉じます。まあそんな所に無駄に尺を使えるわけもありませんからね。
サムライ☆ベイビー最終章の終了後に本題となる『携帯小説家』が始まるわけですが、次回作の締め切り間際でまだ会ったことの無い7人が編集者にお願いしたのかされたのかは覚えてないけど。初めて生身のそれぞれの子に出会います。それぞれのキャラクターに関してはポケムーなどのサイトで確認してもらうとして、全く話が出来ていないのでみんなでアイデアを出し合って話を作ろうという所が前半の話の中心となります。
あっと、7人が出てくる前にこの子らを担当する編集者が2人出てきます。一人はサムライベイビーからの女性担当者と、もう一人は文学作品を書いていた人を担当していた30代前半の男性。その2人の掛け合いが、男性担当者は話にリアリティーが無い率直な感想をもう一人の女性担当者に言いますが、女性担当者は中高生からリアルだという感想が多数届いた、30代の男との感性の違いだとばっさり切り捨て、あくまでもデータとしての客観を述べ、自分の意見は言いません。その時点でなぜ言わないのかな?と思ってたけど、これは後半の部分での複線だったのかな?
指定された場所に7人が揃い、自己紹介を済ませ、アイデアを出しつつ話を作っていくのが前半のメインになるのだけれど、メインのプロットが無いのでそれぞれに好きかってやっていくので、話はまとまらない、その部分がこれからいくらでもアドリブの入り込む余地を残しているのは良いか悪いか別として、この部分はコメディとして面白かった。今後のリピーターを呼び込むためのあえてのユルイ部分なんじゃないのかな?って、思わなくもない。℃-uteの興行を知っているとね。
舞台は生ものなので日々変化していくものだけれど、それに頼るのもどうかと思いますよ。っと、全て見終わってからの感想だけれどね。この事については全部書き終わってからまた触れます。
結局話がまとまらずキヨカの尊敬している小説家・吉原にアドバイスを貰いに行こうという所で前半終了。
後半は中盤以降からシリアスになって行く。
書いていくと長くなるので思いっきり端折って中盤以降の部分の感想を中心に書いていきますが、アドバイスを貰う代わりに吉原の娘と話をしてもらいたいとの依頼を受ける7人。多少の心情の吐露を聞いて、小説家にその事を話しアドバイスを貰うわけだが、その回答が「人に頼るな。」という厳しいもの。ヤンキーのマコトはその言葉にキレるが、吉原のもっともな意見に返す言葉がない。
話は前後するが、吉原の娘、ゆりは携帯電話とそれを使う人間を憎んでいた。ゆりは交通事故で母を亡くしたのだが、彼女はその時に一緒に居合わせた。駆け寄ってくれる人もいたが大多数はその光景を携帯のカメラで撮影していたという。そんな目にあえば無責任で無神経な物や人間を憎悪の対象にするのは容易に想像できる。
物語の冒頭にも出てくるが昔の人が言った「ペンは剣よりも強し」この言葉は良い事だけを言っているわけではない。時にはその言葉が人を傷つける事をよく考えるべきだ、印刷物よりも遥かに浸透性の高いネットでの発言に、自分できちんと向き合える人間がどのくらいいるのか?吉原はネットを媒介とした発信性と匿名性の高い物だからこその危惧を述べる。
そうこうしてるうちに編集者が7人を迎えに来る。
冒頭の編集者2人のやり取りに女性編集者は男性編集者の問いに言葉を濁していた事をキヨカに問われる。
「あの小説面白く無かったですか?」
女性編集者は答えない。彼女は「私は読者が求めるものを提供する。」とだけしか言わない。こんな事を言われたらどんなに鈍い人間でも気が付くだろう。
吉原と女性編集者のあいだで小説と携帯小説の問答が始まるが平行線に終わる。
そうこうしてる間に男性編集者が嫌なニュースを目にした。相談に行った吉原氏の内情や住所・電話番号などの個人情報が漏洩してネットで大騒ぎになっていると。
事の発端はクミが面白半分でミクシィに書いた事でいわゆる“祭り”な状態になっていた。
吉原邸にはひっきりなしにいたずら電話がかかり、スキャンダラスな私生活にマスコミからも取材の電話が入る。ひっそりと暮らしていた吉原氏の日常が音を立てて崩れていくのだが、誰も責任をおう事の無い世界の事だと吉原氏は主犯となるクミを責めることはしなかった。
最後に吉原はキヨカに一つだけアドバイスをする。
「自分の心に抱いたものを正確に言葉にする方法を見つけなさい。嘘のない自分の言葉をみつけなさい。」
中盤以降は携帯というかネットの罪と罰に話が終始する。
大抵、こういった場合は功罪として対比があるものだが、この物語の主軸はネガティブな部分の方ばかりをクローズアップして、吉原の口から語られる。その言葉は私としては概ね間違っているとは思わない。不特定多数の人間の目に触れるものなので、書いた本人の意図したモノとは違う感想を受け取る事もあるだろうし、2ちゃんねるに代表される匿名の人々の書き込みには、真実もあるが嘘も有るのもまた事実だ。厳密に言えば責任の所在は分かるだろうが、個人でそれを特定する事はきわめて困難だ。
ネットが普及しだした頃の、見識者の警告にも聞こえ、少し時代錯誤な感覚も感じずにはいられないが、けっして間違っているとは思わない。
しかし、物心ついた頃から普通に接していた子たちには、あまりこういった感覚は無いのだろう。
ペンを取り文字を書くのとキーボードで文字を打つ事は同じ、しかし今と昔ではそこから先が違う。
簡単に出来るからこその危うさを考えなくてはいけない。なんか、いろんな事への揶揄にも取れそうな話だったけど、時々忘れそうになる事への自戒の意味も込めて覚えておこうと思った。
苦々しい後半だったが、この事をきっかけに7人は少しだけ成長するエピローグだけが最後の救いでもある。人は経験をして成長していくのだ。
この後はキャストからのお礼があって、その日の当番から挨拶があり、2曲乙女COCOROと涙の色を歌って終わり。
約1時間50分程

前半のコメディから一変して、後半の終盤の重苦しいクライマックスに突入するのはある意味お約束だろう。が後半は℃-uteメンバーはあまり出番が無い。特に最終盤にいたっては舞美さんにセリフがあるだけで他の子は全くといっていいほど印象に残らない。話から言ってみてもしょうがないとは思うけれど、大半が℃-uteのメンバーを見に行ってるのだから印象も悪いだろう。物語として破綻は無いけれど、ヲタクとして納得が行かないのはよく分かる。
リピート目当ての人用は最後の挨拶が日替わりなのと、前半にアドリブが入れやすい部分位だろうか?また最終公演だけ新曲披露とかありそうだけど、考えただけでも舞美さんが主役って事よりもゲンナリする。

  • ついでだから℃-uteの興行について

最初の方で後で書くって書いた個人的に不満に思っている事でも書いておく。
夏のツアーで仙台で楽天イーグルスの応援歌を歌ったってのはまあ分かるのよ、本拠地だしね。デモさ、他のところでの公演は曲数少ないわけじゃん。なんか最終公演でも2曲多かったとかさ、ほんとムカつくんだよね、同じ金額払って見に行った人間として。自分でも小さい事言ってんなーとは思うけど。去年のゲキハロも最終でだけで新曲やったりとか。
夏のライヴのMCでもリピート推奨するようなMC多かったし、どんなハプニングがあるか分かんないとか平気で言ってるしさ。ハプニングってのは突発的な事象で、台本の段階で変えるのはハプニングじゃないつーの、何を持ってハプニングとしていってるのか分かんないし、どんな事があったのかは知らないけど、コンサートでも舞台でも、同じ人に何回も来させるやり方がなんか厭だわ。
夏のツアーで見かけたハプニングらしいハプニングって、八王子夜公演であげ子さんが途中でタオルすっ飛ばしたくらいだわ。
去年のゲキハロで日替わりでソロで1曲やったけど、目当ての子じゃなかったりしたらちょっとガッカリするよね、ファンサービスには違いないんだろうけどさ、あからさまに全員が見たいなら毎日来ないとダメだよってのは、どうなのかね?って思うのよ。
私はたまたま見に行った回で梅さんに当たったからラッキーだったけど。
℃-uteの興行に関してはこういうことが付いて回ってて真性℃ヲタって大変だな〜と思ったりする。あたしでさえこう思ってるんだから。
ベリの場合はあんましこういうこと無いよね。