第二章〜強がり〜

一生懸命書いてたのに、その日のうちに間に合わなくなった。_| ̄|○

  • 枕詞

「ファンの人の書いた、その人を絶賛する意見を私はあまり信用していない。」と以前の日記に書いた。
その気持ちは今でも変わっていない。
しかし、ファンでないと書けないことも有る。この事を心を留めてここ以降を読んでいただくとありがたい。
全てはあなたの判断に委ねる。

  • 本題

一言で言うと、珠玉のアルバムである。
はっきり言って粗はいくらでも有る。
6年ぶりと云う事で、1stアルバム収録以降のシングルを網羅してあって、完全新作となるのはたった2曲。
(『ふるさと』はFOLK SONGSで一度歌っているので、完全新作とは言えない。)
アルバムの統一感からズレているとしか思えない『純情行進曲』
シングルに関しても多分再録だろう。(聞き比べていないので断言はできませんが。)
なので、一番古い曲と最新の曲の差が激しい。
以上の部分を踏まえると、お世辞にも手間が掛かったアルバムとはいえない。
ここまで断言してなお、『珠玉のアルバム』と断言してしまうのは何故か?と云う疑問は出てくるだろう。
(ハイ、ここからはファンの贔屓目が出てくるので気をつけて!)


まずは、中澤裕子だから歌える曲の数々。
多分、裕ちゃんより上手に歌える人はいるとは思うよ、正直ね。
裕ちゃんの曲は、ビートやノリと云う物より、世界観ありき。
その世界観を作り出せるのが中澤裕子の歌だと思う。
モチロン、つんく♂さんが中澤裕子の為に作ったたった一つの曲であることは大きいのだけれど。
最近、「Berryz工房はいい曲をもらってる。」なんて記述をよく見かけるけど、
このアルバムを聴いたら、一番良い曲をもらっているのは、紛れも無く中澤裕子なのだ。
去年までは1年に1枚ぐらいしかシングルのリリースは無かったが、そのどれもが素晴らしく良い出来なのだ。
何故リリースが少ないのか?は大人の事情によるものだろうし、
寡作だから良い曲が出来ると言うのとはまったく違うのだろう。
中澤裕子の声と歌唱によって作られる世界観がとても気持ちが良い。
中澤裕子の為に作られた曲と彼女の歌声は、使い捨てられる消費物ではないのだ。

「シングルの寄せ集めなのだから、クオリティが高い。」との声も聞こえてきそうだ。
確かにシングルは“売る”為の曲なのだから出来がいいのはもっともだ。逆にそうでなくては困る。
しかし、世界観が統一しないアルバムは、完成度としては高いのか?
娘。のように10数人いるようなユニットなら分かるけど、
中澤裕子のソロとして見た場合、バラバラな世界観よりも一方向のベクトルに絞るべき。
娘。在籍時からのアーティストイメージを崩さず、今日までやってこれたのは、
ある程度完成されていた“中澤裕子”と云う世界観が既にあり、
彼女が常に“自分”を持ち続けてきたからに他ならない。
娘。卒業発表会見で、自分のことを「私は刺身のつま」と言った彼女。
全てが全てに納得がいっていた出来事ではなかっただろうその長い時間を、彼女は味方に付けてきたのだ。
つんく♂さんもその事をよく分かっていて、彼女に曲を提供しているのだろう。
この統一した世界観は、中澤裕子ありきなのだ。
彼女のアーティストイメージとはなんだろう?と聞かれたら、私はこう答えます。
中澤裕子のアーティストイメージは“女性”


時間を味方にしたことに関連して、成長が見てとれる。
私が“歌手・中澤裕子”として、真剣に向き合うようになったのは、娘。卒業以降。
それ以前は中澤裕子のパーソナルな部分に惹かれていた部分が大半だった。
線が細く、安定しない歌声、でも雰囲気はある。以前の中澤裕子の歌の感想だ。
娘。を卒業し、舞台『フットルース』を経験して、初のワンマンのライヴツアー。
以前の線の細さなんか微塵も無く、好い歌を聴かせてくれた。
シングルで言えば、『東京美人』の頃だろう。
この曲を彼女は一番好きだと言っていた。
その曲をライヴで歌い、長い時をかけて育てたことでまた彼女はすこし成長していく、歌手として。
自分の職業である“歌手”に誇りを持ち、仕事の全てを歌にフィードバックさせている、そんな気がする。
歌うことの喜び、伝えることの難しさ、それらを己が力に変えて、彼女は前に進む。
そういった意味で、とても残念なのが、Voの録り直しがされていないであろう事。
『元気のない日の子守唄/長良川の晴れ』以降の曲ではワリと今に近い中澤裕子の歌が聴けるのだけれども、
でもそれすらも過去のものでしかないのだ。
それ以前の曲となると、きっと今の中澤裕子が歌うものとかなり違ってくるのだと思う。
その当時のもので味わいが有る人もモチロン居るだろうが、
中澤裕子に関しては常に“今”のものがベストではなかろうか。
歌に対する理解度、色んな仕事を経て得た経験、それよりも、歌が上達した部分がとても大きい。
彼女に「あなたの職業はなんですか?」と誰かが聞いたら、「歌手です!」と即答し続けて欲しいと、心より願います。

彼女のファンならではの視点でばっかり書きました。
信用しようがしまいが読んだ人のご自由に。
たまには裕ちゃんのことばっかり、一生懸命、真剣に書いても良いと思ったので、
歌手・中澤裕子について書いてみました。

  • 各曲について

01『DO MY BEST』
ワリと押さえ気味に聴こえるこのアルバムの中で、ハジケっぷりが楽しい。
この曲については最近書いたので割愛。アルバム1曲目にあるのは結構いいかも。
02『長良川の晴れ』
今年一番の曲。近年でも屈指のレベルだと思う。
舞台設定がかなり切ないけど、どんな思いで彼女は歌ったのだろうか...。
これについても長々と書いたような気がするな。上の検索窓で探してください。
03『強がり』
アルバムイメージとなるのでしょうか?タイトルとは裏腹にやさしい曲。
以前の裕子さんじゃ、こうは歌えなかったんじゃないか?とも思う曲。
『ふるさと』の後日談的な印象もチラホラ。
親の偉大さって、こういう懐の大きさなんじゃないかと思わせてくれる曲。父さん、母さんありがとう。
心のゆとりと共に、歌唱力が上がったことによる安穏感。ライヴのラストナンバーに。
04『東京美人
全ての女の子へ捧ぐ曲。 油断してると涙出そう。
05『上海の風』
歌い直して欲しかった曲の一つ。サビのメロディー,難しく有りません?
今なら〜って言葉が出てくる。
でも、声自体はあまり変わっていないんですよね、不思議なことに。
06『GET ALONG WITH YOU』
この曲を聴くと何故だかホッとして、切なくって、嬉しくって。
07『心機一転〜CHANGING THE MIND〜』
CDでこういう曲調のは、いつもセーブして歌っているように感じるのだが。
(例:F・S3『初恋』 F・S5『学生時代』など)
08『二人暮し』
卒業直後なワリには歌えているんじゃないかと思う曲。
ほぼ完成の域なんだけれど、今録り直せばもうちょっと安定度は上がると思うんですけど。
09『悔し涙 ぽろり
絶対に録り直して欲しかった曲。もうこのレベルじゃ物足りない。
お芝居の経験が生きると思うのだが。
10『元気のない日の子守唄』
悔し涙の後に来ると、とてもしっくりくる、癒しの曲。
長良川とのカップリングだったばっかりにコッチはあまり聴いてなかったんだよなー。あー勿体無い。
11『純情行進曲』
ごめんなさい、飛ばします。キライとかそういうんじゃなくって、コンセプトの違いと言った感じか。
後、歌がヘt(ry
12『ふるさと(中澤 Ver­)』
オリジナル&派生したバックトラックが好きなので、そっちで聴きたかったのが正直なところ。
今までこの曲を歌った人の中で一番“優しい”歌。
でも、もうちょっと泣かせに走っても良かったかな?とも思います。
この曲を聴いてもあんまり望郷感は私の中では起きません。
娘。の『ふるさと』は名曲だけど、裕ちゃんのこの『ふるさと』はただの良い曲だと思う。
歌い手の技量云々ではなく、培ってきた曲自体の重みと言うかね、なんかそんなところ。
ギターじゃなく、ストリングスだったら表情が随分違ったと思う。
個人的には、ピアノとヴァイオリンのみでの物が聴いてみたかった。
その時のバイオリンは弦一徹サンで。

  • まとめ

彼女の歌が万人に受け入れられるかは分かりません。
私は別にそんなコトはどうでもいいと思います。
モチロン売れるに越したことは有りません、先へと続く、最も分かりやすい結果だから。
でも、消費されるだけの歌では勿体無いと思う。
シングルは今のペースで、2年に1枚くらいはアルバムを出して、それに付随してツアーを行ってもらいたい。
前作から6年。彼女自身、怒涛の年月だったろう。
彼女を見ていた我々も、この日を今か今かと待ちわび、待ちに待っていた待望の一枚。
多少の不満(新曲が少ない等)は有るものの、6年前から連なる、確かな中澤裕子の歩みを手に入れた。
決して平坦ではなかったその道のりを内包しつつ、新たなる一歩として、
これからの彼女の進むべき道を示す道標となるのだろう。
そして、一人でも多くの人が彼女の歌(魂)に触れることを切に願う。


こんなクソ長い自己満な文章を読んで下さったあなたに感謝。